福知山線

凄惨な事故として記憶されている「JR福知山線脱線事故」。
2005年4月、兵庫県尼崎市で発生したこの事故では、106人が亡くなり、500人以上が重軽傷を負いました。

法廷を舞台にした映像作品やドキュメンタリーでは、
事故の責任構造や企業の過失、裁判の行方が描かれることが少なくありません。
しかし、そこに映し出されることの少ない存在がいます。
それが、事故を生き延び、その後の人生を背負って生きる被害者一人ひとりです。

産経ニュースに掲載された、弁護士・藤原正人さんのインタビューは、まさにその「描かれにくい現実」を静かに突きつけるものでした。

参考インタビュー記事:
犠牲者の分まで「社会に役立つ」 福知山線脱線事故19年、負傷乗り越え弱者に寄り添う弁護士に – 産経ニュース

「人間洗濯機」のようだった車内──生還者の記憶

当時、同志社大学4年生だった藤原正人さんは、司法試験を控え、予備校へ向かう途中で3両目に乗車していました。
事故の瞬間、車内は悲鳴に包まれ、前後左右の感覚を失うほどの激しい衝撃に襲われます。

本人の言葉を借りれば、乗客同士がかき混ぜられるような「人間洗濯機」の状態でした。
死を覚悟した中で、奇跡的に脱出し、生き延びた藤原さんは、その後も全身打撲などのけがを負いながら、翌日から予備校に通い続けます。

このエピソードは、法廷映像作品で描かれる「事故当日」のワンシーンとは異なり、
事故が人生の進路そのものに与える影響を強く感じさせます。

事故が決定づけた「法曹への道」

藤原正人さんは、事故以前から弁護士を志していましたが、
生還したことでその思いは揺るぎないものになったと語っています。

「自分は生きている。頑張ろう」

忘れたかばんが偶然手元に戻った出来事も含め、
生かされたという感覚が、進むべき道を明確にしたのでしょう。

その後、法科大学院を経て司法試験に合格し、
現在は労働問題や中小企業法務、家事事件など、幅広い分野で弁護士として活動しています。

企業責任を“断罪”だけで終わらせない視点

福知山線脱線事故を語る際、
JR西日本の「日勤教育」をはじめとする企業体質が問題視されてきました。

藤原さんもまた、事故の背景にあった労働環境や組織の在り方に強い問題意識を持っています。
一方で、彼の言葉は単なる糾弾に留まりません。

「社会は企業を過剰に非難するのではなく、改善につなげるために、適正に情報開示をしやすい社会になってほしい」

この姿勢は、法廷映像作品にありがちな
「悪者と被害者を明確に分ける構図」とは一線を画しています。

責任を曖昧にするのではなく、
再発防止に向けて社会全体で考えるための成熟を求める視点です。

法廷の外側にある「弱者に寄り添う」という選択

藤原正人さんは、自身も事故被害者である立場から、
相談者に寄り添う弁護士でありたいと語っています。

事故は終わった出来事ではなく、
生き残った人にとっては、現在進行形の人生の一部です。

法廷映像作品では、
判決が下された瞬間が一つの区切りとして描かれがちです。
しかし現実には、その後も被害者は日常を生き続け、
社会の中で折り合いをつけながら前に進んでいきます。

「亡くなった人の分まで、社会に役立つことをしていきたい」

藤原正人さんのこの言葉は、
法廷という舞台の外側にこそ、真の物語があることを静かに示しています。

映像では描ききれない現実を、私たちはどう受け止めるのか

法廷映像作品は、社会問題を可視化する強力なコンテンツです。
しかし同時に、描かれない部分があることも忘れてはなりません。

福知山線脱線事故から19年。
藤原正人さんの歩みは、
「事故は過去の出来事ではなく、今も続く社会の課題である」
という事実を、私たちにあらためて問いかけているように感じられます。